先日、新田次郎の「劔岳 点の記」の映画を見に行きました(詳しくはこちら、左の写真は今年五月後立山稜線からの劔岳)。
この映画、一言で言うととってもまじめな映画です。ふざけたところがなく、まじめに仕事に取り組む姿と堅物の山の職人、そんな古い社会の一面を見たような気がします。
登頂したのに、その前に人が登った形跡があると知ると、「この登山は無かったことにしてくれ」と言う現場の苦労を無視して体裁ばかりに拘る軍上層部にうんざりするのは小説と同じ。でも土建業者と癒着している地元自治体の役人が彼らに麓の宿の部屋をゆずらなかったいじめについては映画ではいっさい無し。まじめに取り組んでいる人の周りにはこういって連中がいるのは、昔も今も同じ。ここはもっと演出してほしかったです。測量隊がまじめに仕事と自然に取り組む姿がもっと際立ったのではないでしょうか。
ちなみに主人公「柴崎芳太郎」らが劔岳に4等三角点を設置したのが1907年。標石のない4等三角点のため、彼らの業績は公式記録「点の記」として残りませんでした。それから百年以上たった2004年にやっと3等三角点の標石が山頂に設置され正確な高度が測定されました。その際作成された点の記には、選点日時;明治40年7月13日、選点者;柴崎芳太郎と書かれているそうです。
映画館に来ている人は、予想どおり中高年がほとんど。きっと山が好きな人なんでしょうね。ちょっと刺激が足りないかもしれませんが、若い人も見て欲しいな。地味だけどこんなにまじめな人たちの姿を。
--番外編---
山の映画を見るとどうしてもうんちく言ってしまいます。映画館の中でぶつぶつ言っていたかもしれません。今回もいくつか映画に矛盾がありました
- 残雪気の雪崩で映画にあったような自力脱出はできないと思います。堅く雪が締まるので掘り出さないと身動き取れません。
- 雪渓を登る途中で山岳会の方が突然滑落するシーンがありました。飛び跳ねるようにして滑落し始めたのがとても不自然でした。雪渓での滑落は、登りの時はほとんどないので、トラバースや下山のシーンが良かったのではないでしょうか。
- 山岳会の人の荷物が長期滞在なのに全員非常に小さかったのが気になりました。現在の残雪期登山でもあれほど荷物は小さくないと思います。
- 主人公が動けなくなった行者様を背負っておろすシーンがありましたが、あの悪路を一人で人間背負いながら下るのはちょっと無理があるように思いました。
でも、小説と同じようにこの映画では人一人死にません。この種の映画は人がやたら死ぬことが多いので、これが何よりよかったです。
また、本筋とは外れますが、測量隊はたき火でしたが山岳会の方はスウェーデン製のスベア123を使っていました。この時代からあるんですね(いろいろ調べると1896年ごろから販売されているそうです、詳しくはこちら)。わたしは燃焼時の音がうるさいので持っていませんが、マニアにはたまらないみたいですね。
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